溜息の沼

愚考

スタジオジブリ新作「君たちはどう生きるか」ネタバレ感想

事前情報まったくなし、本当に本当に楽しみだった。
初日ということでさっそく観てきたので、色々思ったことを書こうと思う。

先に言っておくと、ネタバレなんか無い。
そもそも、ネタバレするような内容がない。
予告編が公開されないのは、予告編を作ると中身が透けて見えてしまうからだと思った。
(エンドロールに「予告編集」とあったので、多分予告編は存在してるのだろう。落ち着いた頃に公開されるのかな?)

・ざっくりストーリー解説
 戦中の日本、母が戦火に巻き込まれて亡くなったところから話が始まる。
 父は、その亡くなった母の妹と再婚。
 出産のため、彼女たちの実家へ。
 出産を前に突然姿を消した継母(先述の通り、実母の妹)を探しに、実母の居場所を知るという青鷺の化け物(キービジュアルのあいつ)に導かれ、そして始まる異世界珍道中。
              ・・・的な感じ。

登場人物は全員人間味に溢れ、卑しい所もあれば悪意も持つ。でも大切な人は大切だし、そのためになんとかしたいという気持ちもある。

・感想
 ただただ綺麗なアニメーションで、パヤオが好きな(フェチズムといってもいい)ものをひたすら描かれた作品だった。ある種の芸術作品といってもいい。
歴代ジブリのセルフオマージュも散見されるが、もしかしたらこれはセルフオマージュなどではなく、ほぼパヤオの好きなものを詰め込んだら同じようなものができてしまったという、ただそれだけなのかもしれない。
 昔から見てきたジブリの「なんかここの風景いいよね」「この食べ物美味しそうだよね」「あの不思議な物体が印象に残ってて」・・そんな映像がずっと続く。
先述したようなストーリーですが、マジで有って無いようなもの。たぶんこの作品にストーリーだの起承転結はいらなくて「綺麗なものを見て綺麗だと言え」というメッセージすら感じた。だらだら取り繕ったような言葉なんぞ要らないんだなという云々………。
とりあえず、今回は「異様さ」がやけにこだわって演出されているなというのは理解できた。(異様なほどに…)


・一応、世界観を補完するためのメモ(妄想)
 ※見た人向け

①主人公、眞人の大祖父。彼が宇宙から飛来した石(宇宙の意思・石)と邂逅。魅入られ、石(意思)と契約し新たな世界を創造する。(作中では地獄と表現される。死者が偏在しており、あらたに現実に生まれ変わる魂の赤子のような存在もいる。なお生者も当たり前のようにいる。なんでもあり)

②この世界では大祖父が持ち込んだ鳥類(ペリカン・インコ)が進化し勢力を持つ。こいつらは話を進める舞台装置みたいなものなのでそんなに気にしなくていい。

③この世界を保つために、大祖父は「石の積み木(それはもう積み石なんよ)」を積んで世界を維持する役割に就いている。後継者として、子孫である主人公・眞人に継いでもらいたいと思っていたが、思い改め「こんな世界いらねーわな!みんな元居た世界と時間にお帰りなさいや!」と世界をぶん投げる。世界消失。生まれ変わりと死者の魂は、また新しいシステムが作られるのかもしれないね。めぐるめぐるよ時代は巡る、知らんけど。
 →世界の主が望む世界を作ることができる。
  美しい生々流転の世界にするか、それこそ地獄にするか。石(意思)をもって世界を積むのだ。
  (ダークソウルの玉座みたいだね)

④主人公、ガキなりに打算的で悪意持ち。
 自分のプライドと言い訳を保つために、自分で怪我をすることで親父の庇護を引き出した。本当にクソガキ…って感じ。でもまぁ、自分が子供の時も、そういう打算的なムーブしたよね?ってことで。人間ってそんなものよねっていう教え。

⑤この映画を見て「よく分からなかったね」というのが正常。筋の通った設定だのお話になんて意味なんてねぇ、綺麗なものを綺麗に描き出すそれがアニメーションや!とでも言いたいのだろうか?むしろ、そういうことを感じて見ること自体がもうナンセンスなのかもしれない。


・まとめ
 タイトルの「君たちはどう生きるか」とはなんだったのか?それだけが分からない。
 作品に込められた説教臭い含蓄は無い。
 「この作品を見て、お前らは何を感じて、どう生きていくんだ?」とかメッセージ性が……なんて考えて鑑賞に臨んだが、なんの意味もなかった。
ありきたりな解釈をするなら「君、自分が生きているこの世界で、どんな決意と意志(石)を持って世界を生きて、紡いでいくんだい?」みたいな事なんだろうが、ナンセンスなのでここではあえてつまらん解釈はしない事とする。
旅行にいって、荘厳な風景を見て「うぉースゲー!」つって帰るみたいな、そういう楽しみ方をするのが正しい映画なんだろうなと思い至ったところで今回は終わりにします。





過去作の面影が垣間見える演出、ファン的にはあれだけでいいまである。

グリッドマン ユニバース 感想

最近は映画を見ても長文を書くほどではなかったが、久しぶりに。

グリッドマンを見てきた。
アニメ版グリッドマンとダイナゼノンの続きというかマルチユニバース作品というか、まぁそんな感じ。

まず言うと、僕は正直好きではなかった。
アニメの記憶が朧げだったので、ちゃんと復習してなかった僕が悪いのかもしれんが、それでも刺さらなかった。


これを書く前、友人に「男が好きなものを詰め込んだような」と言われたけど…

・そう思う
・どちらかといえばそう思う←ここ
・どちらともいえない
・どちらかといえばそう思わない
・そう思わない


trigger作品は、割とそういうとこあるから、それはなんとなく分かる。


本題。
何が気に入らなかったのか??

1・深いことやってそうでやってない
結局、大味なんですよ。ぶっ飛ばせばええねんというのか透けて見える

2・作り手のエゴ
そもそもアニメ見てない奴はこの映画を見ないんだろうけど、それでも「ファンのリテラシー」に頼りすぎていないかい?商業作品だろうがよ、親切に簡潔にやってくれよ。
昔のグリッドマン俳優を使うというファンサ、いるか???ノイズだよ、知らねーよ誰だよ。ほとんどの客が「元グリッドマン俳優なんだろうな」とは読めると思うけど、それを期待して作ってないか??
(余談)前半は「音楽が鷺巣っぽいな〜でもエッジがたってないな〜…誰だ?」→後半「やっぱ鷺巣だ!これは鷺巣だ!!」ってのが見てて感じたんですけど、それは合ってた。
でも、(trigger陣の好みってのもあると思うけど)ほぼSEで掻き消してくるから好きな鷺巣ちゃん音楽が聴けなくて残念。活かせよ、BGMを。
でもtriggerだから許す、それは受け入れる。寛容に見えて不寛容なオタクと化した。だれか世界ごと俺を殺してくれ。

3・演出が古い
グリッドマンのいいところって、古き良きところなの?数年前、皆がアニメ版グリッドマンを見てたのは、そこなの?それを理解して作られたか?どこか、二次創作のようなごちゃ混ぜを感じる。(ここに本編で語られるカオスを当てはめるのはナンセンスなので割愛)


本編中のシーンで、
○特撮部隊を見て泣くメガネ君
○学生部隊を見て泣く主人公
   というシーンがある。

この映画を好む人は、きっとメガネ君のようにリテラシーと愛を持って作品を受け取れる人なのだろう。
そうでない側はどこか冷めて見えてしまう。
→逆もまた然りで、そのメガネ君サイドのオタクは、御涙頂戴の舞台で泣いてる主人公に引く。なぜか?ズレてるからだよ。大衆はこちら側なのだ、どっちが滅ぶべきなんだろうな???


●結論
もう終わりだよ、楽しめなかった。
勢いと力技で危機を脱しても、カタルシスがないんだよ。「宇宙規模になったグリッドマンと合体したら響君が!!」じゃ納得できないんだよ。
でも、見にいった人の大半は「そこまで酷くないし穿ちすぎだよ」と僕に言うのだろう。
はいはい、終わりだよ終わり。この世界は終わりだよ。消滅の危機ですよ。もうこの世界は滅ぶべきなんだよ!!!目を醒ませ僕らの世界が何者かに侵略されてるぞ!!!





本当は好きなんだよなぁ……


【追記】
マルチユニバースである意味はあったか?過剰なファンサービスぽくて受け付けない

シン・ウルトラマンについてアレコレたまに考察

シン・ウルトラマン
いよいよ公開ということで見てきました。

ネタバレをちょこちょこ含みますが、
色々と語っていきたいと思います。

シン・ゴジラを見ていたつもりが、いつのまにかエヴァンゲリオンを見ていた。でも、終わってみればそれはウルトラマンだった】






・そもそもの話
Twitter等でトレンドに上がってますので、皆様のいろんな感想が散見されます。
個人の主義主張もあるので言及はしませんが、「庵野監督」って言ってる人が多すぎやしませんかね?
庵野は監督じゃね〜〜〜〜!!!!」と先ずは言いたい。
総監修が庵野、まずはそこをから省みてほしい。
そりゃあ総監修だし、最終的にオムニバス形式の本作のネタを取りまとめたのも庵野さんだし、「監督が庵野」と思う人も多いかもしれない。
でも、「庵野が監督だから」って目線で見るだけで随分と感想が違ってくるかと思うので、そこは分かってほしいなと思っている。
「また庵野のオ○ニーかよ」みたいな意見で本作を遠ざけるのは随分と勿体ないと思います。



・誰がこの作品をおもしろいと思えるのか?
①ガチガチの特撮オタクはきっと微妙な感想を持つと思っています。「CGのウルトラマンなんて…」と思うのも分かります。それでもウルトラマン好きには、100%じゃなくても60%は刺さったはず。

②中途半端にウルトラマンを知っている人間が、きっと一番楽しめると思う。
僕はこの層なんですが、「ウルトラマンは最初のシリーズ」「メフィラス星人とのやりとりがあるんだよね」「最後はゼットンに倒されちゃうんだよね」ぐらいは知っている、かつ「特撮だからこそ○○じゃなくちゃいけない」みたいな拘りもない。きっとそれぐらいの人間の方が一番楽しめる、はず。

シン・ゴジラないしエヴァが好きだから観に行った人は、「よくわかんなかったけど面白かったw」ぐらいの感想で終わってしまう気がする。でもきっと、娯楽なんてそんなもんでいいんだろうなとも思う。



・個人的ここ好きポイント
鷺巣詩郎
音楽担当の方ですね。
僕は特に新劇エヴァのサントラが好きで、(ベタですけどファイナルディシジョンとかゴッズギフトとか)、今回もあのテイストの曲が流れたのが一番興奮しました。轟音上映で観て良かったなぁと思います。

②映像的な「これでええやろ」感にシンパシー
映像制作の仕事をしてる僕ですが、「別にこんなカットは手抜きでいいでしょ。クオリティよりもカットの繋がりのが大事!」と思って撮影・編集する事が多々あります。
本作もiPhoneで演者に撮影させたりして、結構映像自体のクオリティがまばらになってるんですよね。
でも「そんなん気にならないから色んなアングルで撮影しまくってカット増やしまくろう!」みたいなのが感じられて、『やっぱそうだよね!?』と勝手にシンパシーを感じていました。

ウルトラマンの改変と再構築
ウルトラマンシリーズでは「怪獣との戦い」だけでなく「人間が何を感じて、どう行動するか」ってのが結構描かれてると思ってるんですが、本作はそこをしっかり描きつつも、大衆作品らしく目を引くバトルなんかも丁寧に押さえていたと感じた。
元々のウルトラマンから、制作が描きたいエビデンスを抽出し、現代風かつ原型を壊さない形で再構築していた脚本には感嘆しました。


・考察っぽいもの
シンゴジラの地続きみたいな感想が散見されましたが、そんなことどこにも明言されていませんでしたよね?
竹野内豊さんが出てきたから地続き?そりゃ思考放棄ってもんでしょうが。
そしたら斎藤工さんはシンゴジラ自衛隊員だったけど、そこから公安→禍特対ってなったとは考えられない。
(そもそも最初の巨体不明生物がゴメスだし…)
シンゴジラっぽいのは全部ファンサみたいな物だと思ってます。
竹野内豊さんの役名が「政府の男」っていうのも悪い。そんなん邪推しろって言ってるようなもんじゃないの…俺は騙されんぞ!!
そもそも樋口監督インタビューで「作る姿勢はシンゴジラから地続き」って言ってるし、そのまま同じ世界だと思い込むのは危険かと。

本作は、「作り手の趣味を混ぜつつ、いかに多くの人に見てもらえるか」で考え抜かれた"特別な大衆映画"だと思っています。
『たくさんの人に見てもらいたい。でも、俺たち作り手の本当に見せたい物も感じてほしい!」という意思を感じました。
キャスト配置や演出、細部の小ネタなんかにま、その辺のバランス感覚が上手くとれている映画だったと思います。


・最後に一言
『家で見たら、きっとチープに感じちゃうんだろうな』



次回はシン・仮面ライダーでお会いしましょう。

シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| あらすじ・ネタバレ・ちょい考察

久しぶりに映画館に行きました。
有給使って、朝イチ観賞。IMAXってやっぱり凄いね。



ネタバレします











・あらすじ
1、Qの続き。場所はパリ、ヴィレがエヴァシリーズの改装部品や武器などなど物資を調達するために作戦中。
すで破でニアサードインパクト(シンジくんとエヴァ初号機による破滅の始まり)の後のため、浄化された無垢の地と化していますが、
Lシステムなるもので時間を戻す(浄化をなかったことにする?)でパリ支部から物資調達。
ネルフが製造するエヴァ44A(飛行機)とエヴァ44B、エヴァ4444Cが邪魔にくるも、マリが乗る8号機で応戦、撃退。
a、エヴァシリーズとはいえ無人機、ロンギヌスの槍(レプリカor見た目のみ)やら荷電量子砲的なものやらなんでもあり
b、後述のシンジらがせっせと歩く中、マリのみヴィレと行動。
  ヴィレはシンジたちを回収できないため(L結界密度が高い?)放置してパリに飛んだと推測。マリ、いつの間に回収されてパリ飛んだんだ。

2、Qから歩き続けたシンジくんアスカ、レイ。(’12年公開のQからずっと歩いてたんだね、とかは野暮)
上記Lシステムにより限られた地域で人が暮らせるようになっており、着けばシンジくんたちの同級生、トウジ、ケンスケ、ヒカリらが暮らしていた。
a、トウジとヒカリは結婚、子を授かる。テレビシリーズの時の恋が叶ってよかったね。
b、アスカ、歳も取らなければ眠らない、飯も食べない体に。エヴァの呪縛とかいうやつ。
  →塞ぎ込んだシンジにレーションを無理矢理食わせる際に「まだリリンもどきなんだから今のうちに食え」発言。
   まだ、、、?てゆうか人はリリンなのでは?(黒き月の第2使徒リリスと人間リリン)
c、ケンスケ、ミリオタの本領発揮でコミュニティの中心人物に。
d、加持とミサトの息子リョウジくんが。(亡き旦那の名前を付けちゃうミサトさん)
  ニアサード移行(破とQの間)で子供を授かっていた。
  ニアサードを止めるため、加持はミサトにヴィレを残し命に代えてニアサードを止める。
渚カヲルの6号機が槍で初号機を貫き、加持がなんらかの方法で人類絶滅を止める(描写なし、特攻でなんとかなるもんなのか?)
e、ケンスケとアスカが同居。アスカがケンケン呼びしてて意外。
f、握手の描写、今作ラストまで引きずる。漫画版の踏襲かと。

シンジは塞ぎ込むも、時間をかけて自分を取り戻す。
が、レイはネルフの調整なしに長生きできない体、見たことのない世界に触れて人の心を知り、LCLへと還る。

3、シンジ、アスカと共にヴィレに戻ることを決意。 
  「アスカ、僕もヴィレにいくよ!」→「あっそう(スタンガン)」慈悲なし。
  ゲンドウ、冬月(ネルフ)はセカンドインパクトの中心地へ向かい、人類補完計画を遂行し始める。
  ヴィレも後を追う。シンジくんは軟禁状態。
a、ミサトさんの思いがようやく分かる、シンジくんを守るためにQではあんな言い方しかできなかったらしい。
  息子リョウジには合わず、知らせず、ただ守りたいがために話す。シンジくんにも同じ思いだった。
  破「行きなさいシンジくん!」Q「もう何もしなくていい」の掌クルーは愛する故だったと言い訳かます、僕は許した。
b、黒き月(使徒ではなく人間をのせた最初の生命の船)は杯の形、聖杯オマージュ?
c、セカンドインパクトは海を、サードインパクトは地上を浄化した(生命が住むことができない)
d、アスカ、レイと同じくクローンだった。
  Qでいきなりシンジくんに殴りかかった理由は「4号機に取り込まれた時、
  助けるor殺すの決断を、シンジが自ら選ばなかったから」らしい。
  あの時のアスカは、シンジがきっと好きだった。
  →今ここにいるアスカはあの時のアスカなのか?それとも記憶を引き継いだ2番目なのか不明。
e、5つの柱が残る爆心地。ミサトの見たセカンドインパクトでは4つだったはず、、、?
  (ゾフィー、マン、セブン、ジャックのウルトラマンファンサービス)

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拾い物

4、戦闘開始。
  ヴンダーvs冬月率いるヴンダー兄弟機×3
  マリvsエヴァ7号機無数。
  眠った13号機を破壊しようとするアスカだが、壊せず。
  裏コード999発動。使徒としての力を使う。
a、アスカ、眼帯のしたに使徒の力を持ってた。使徒化して13号機に挑むも散る。
  13号機、アスカを取り込み人類補完計画を始める、アスカもゲンドウのシナリオ通りでしたとさ。
ゲンドウ、ヴィレに来訪。初号機を取り返しに来る。リツコが頭を打ち抜くが不死なゲンドウ。
  ネブカドネザルの鍵を取り込むことで使徒化(?)した、リアルサイクロプス
  初号機を持ち去るゲンドウ。
  シンジくん、エヴァに乗ることを決意。
  ニアサードで家族を失ったミドリぶちギレ(わかる)
  シンジが仇であり恩人である、トウジの妹サクラ葛藤(わかる)彼女ら一般人の思想がないと物語破綻してたなとしみじみ思う。

5、マリ、シンジを連れて補完計画を進めるゲンドウのもとへ。
   シンジ、裏宇宙へGO(意味不明)
  マリはその間、邪魔しにくるエヴァ9〜12号機と戦闘、文字通り「食う」。
  補完計画が進むことで、旧劇同様レイ(ユイ)の姿で現れた白い巨人
a、シリーズ通しての補完計画、内容に変更なし。ビジュアルが違うだけです。肉体から魂を開放し、全て対等で均一な世界。
  ゲンドウはそこでユイとまた会いたかっただけなんだね。

6、ゲンドウとシンジ、絶望の13号機(ロンギヌスの槍持ち)と希望の初号機(カシウスの槍持ち)で戦闘、世界をかけた親子げんか。
  なんでもアリなので、イメージ内で殴り合い。惑星大戦争(特撮SF)やら特撮セット風、過去のシリーズ描写なんでもあり。メタすぎる。
  殴り合いじゃダメだと諭すゲンドウ、ここに来て親父感。
  いつも通りの心理描写タイムへ。
  槍が2本とも手元にないため、シンジを助けるためにヴンダーから無理矢理作ることに。ヴンダーを捨て退避するヴィレメンバー。
  ミサトは命をかけて初号機のもとに新たな槍を届ける、さよならミサトさん
  色々受け止めたシンジくんとの対話でゲンドウ、髭剃りのCMばりにめちゃくちゃ喋って成仏。
  囚われたアスカの魂も、破の時から放置されてたレイの魂も昇華。
  全てのエヴァンゲリオンを消し去り、エヴァのない世界を選んだシンジくん。
  作り替えられ、消えゆく世界に一人残ったシンジを助けに来るマリ。
a、今までのシリーズは基本的にシンジがシンジに問いかけて全てを理解するのに対し、今回はシンジが主要人物に問いかける構図に。
b、カヲル、元々は司令官として加持と結託していた。(時期不明、世界線不明)
c、カヲルは使徒としてループする世界で、シンジくんだけを救おうと何度も繰り返してきた。
  今回のループでようやく、シンジと共に魂ごと救われた。
d、イマジナリーエヴァやらなんやらここで言ってますが、多分よく知らなくてもいいはず。
※ここは特に会話やら描写がごちゃごちゃしてて、若干うろ覚えです。

7、エンディングへ。エヴァのない世界で暮らす人たち。シンジはマリと手を取り合って現実に還る。
a、庵野総監督の出身地、現実世界の宇部新川。
b、「さようなら、全てのエヴァンゲリオン」、最後には現実世界へ。僕たちファンもいい加減に現実を見なくちゃいけないんだ、辛い。
c、主題歌「One Last Kiss」からの「Beautiful World」で感動。
  ゲンドウとシンジくんの気持ちがそれぞれ出てる気もするが、それはさすが気の迷い。


以上です。
良くも悪くも、旧劇のあの感じがなんとなくあって良い終わりでした。
これで終わりなのに新要素というか新用語というか、どんどんぶっ込んでくるのは心が折れそうになる。
考察云々ですが、ほとんど作中で解説、言及されていたので考察の余地は意外となし。疑問だけが残る形になってしまいました。


疑問点(というかフワフワしたところ)
1、Lシステム、L結界密度の謎。
  Qのラスト、アスカのセリフであるように「L結界密度が高いと人は近づけない」のは明白。なぜか?
   →人が近づくと死ぬ、と考えるのが妥当。Lシステムで地上を復元したところでないと人は生命活動を行えない。
    アスカとレイはクローン、魂の場所が違うから生きていられるといえば説明可。でもシンジくんは?
    「まだリリンもどき」からあるように、人間離れするほど効かないものなのだろうか?

2、インフィニティ
  エヴァの形をした何か。旧劇でも確認できるように、補完計画実行の際のインパクト時に発生するもの?
  人の形を保てなくなり、強制的に進化させられた人間かなとか思ったけど、謎すぎて思考停止。
  シンジと初号機の、限りなく0に近いシンクロ率インフィニティとの関係性あり?
  とするならば、強制的に補完された人類の果てとしての「なりそこない」表現なのかも。

3、加持とカヲル
カヲルが司令官だったのは、いつ・どこでなのか?
a、ネルフがゲンドウに任せられる前、ゼーレの駒として据えられていた?
b、単純に日本支部意外のところ。
c、加持と結託した理由、世界の顛末を知っていたカヲルが加持を使った?
  →加持、カヲルと共にニアサードを止めたが、槍と6号機意外に、加持の何が必要だったのか?

4、アダムスの器
Qより出。エヴァ9〜12号機に対して使われた呼称。
単純に使徒としての要素が強いエヴァ使徒もどき)のことか?


色々書きましたが、やっぱ面白かったです。
破は大衆よりだの、Qは自慰だのいう人もいますが、それで良いじゃんか、と。
面白かったでしょ?感動したでしょ?それで良いんだよアニメーションは。
よくわからない部分も、未完の美ということでここはひとつ。謎は謎のままで想像掻き立てて死ぬまで楽しめば良いんです。

結びに、主題歌から引用。
「最近調子どうだい?元気にしてるなら別に良いけど」


あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜面白かった!!!!

猿の惑星・聖戦記

お世話様です。

早速ですが「猿の惑星・聖戦記」を見てきました。
「なんてこった、ここは地球だったんだ」から始まったこ猿の惑星、その前日譚として始まった新・猿の惑星も3本目です。
今回もとても面白かった。その内容たるや筆舌に尽くしがたいです。
もちろん見れない方の為にネタバレを書きますが、僕は是非とも見て欲しいと思います。
「前回を忘れちったよー」という方は当方過去記事をご覧くださいませ。

思えばこの映画は、「戦争とは何か」を問いかける映画だと思っていました。
しかし、シリーズを通して感じたのは「シーザーという男の物語」だったんだと思います。
親である人類を憎まず、仲間を守るために戦うシーザー。
復讐に駆られ、人類と戦う力を得たばかりに死ぬことになったコバ、そしてその可能性をもつのはコバだけでなく、、、そんなメッセージを感じました。
結局、人類も猿も何も変わらない、ただの生き物だ。そんな事を思い出させてくれる今作です。


さて、今回はコバの死から後、いよいよ文明が本格的に退廃し始めた頃です。
地球が「猿の惑星」になるまでもはや時間の問題、、、そんな「いよいよ」尽くしを是非アイマックスで見ていただきたいです。

さて、ここからはネタバレでござーい。



人類と猿の戦いも激化し、人間に寝返る猿も出てき始めます。
そんな中、主人公シーザーの息子が人間に脅かされない土地を探す旅から戻ってきました。
しかし、その晩。裏切りにより息子が大佐と呼ばれる人間に殺されます。

シーザーは復讐に駆られ、仲間のロケットやルカと共に大佐を討ちに行きます。
里の仲間を新天地に送り出し、大佐を追うシーザー一行。

その途中、あるきっかけで声の出ない女の子ノヴァや、元動物園から逃げ出したバッドエイプを拾うことに。
彼が言うには、大佐は北から来る軍隊と落ち合うとのこと。

バッドエイプの案内で大佐の元に忍び込むと、そこには新天地に送り出した仲間達がいました。
助けようとしますが、捕まり、強制労働させられ、壁を作らされるシーザーと仲間達。

なぜ壁を作るのか?シーザーが大佐に聞くと、どうやら大佐は北からの軍隊と戦うとのこと。
理由は人類同士の争いです。
この時代には、突如「言語能力を奪われる」と言う病気が発生していました。
大佐はこれが「人類の終わり」と考えており、感染を広げない為に人間も相手取ったのです。
しかし、「病気は治せる」と、寝言ばかりいう上官と対立、戦争になったのです。

だから猿に壁を作らせ、戦争を有利に進めたかった大佐。

そんな中、基地の外に残ったロケットとモーリス、ノヴァとバッドエイプが助けに来ます。
囚われた仲間達が逃げる最中、いよいよ大佐と軍隊の「人類VS人類」な戦いが始まります。

仲間達が逃げ切ったところで、シーザーは独り、戦争の最中の基地に戻ります。
かつてのコバのように、復讐に囚われたシーザーは大佐の元へ。

戦争が始まっても、姿を表さない大佐、シーザーが部屋へ忍び込むと、
そこには「言語能力を失う」と言うあの病気にかかった大佐の姿が。

今まで、罹患した者を殺してきた大佐、ここにきて罹患です。
復讐に燃えていたシーザーも、一線を超えるのを踏みとどまり、大佐を見逃します。
(あ、大佐は自害しました)

戦争の最中でも、狙われる仲間達を救う為、シーザーは基地の爆破に挑みます。

しかし、爆破まであと一歩のところで、人類に撃たれてしまいます。
いよいよ絶体絶命のシーザー。

その時、人類に加担したゴリラのドンキーがシーザーを助けます。
仲間のために戦うシーザーに目が覚めたと言ったところでしょうか。

基地を爆破し、大佐軍を殲滅したシーザーと軍隊。
そして、勝利した軍隊もまたシーザーを狙います。

が、基地の爆破により生じた大きな雪崩に、軍隊は為す術なく消滅。
猿達はというと、木登りと言う猿らしさでなんとか無事でした。


新天地を求め、再び旅に戻ったシーザーと猿達、そして新たに加わったノヴァとバッドエイプ。
新天地に到着し、仲間の安全を悟ったシーザーは、戦争で受けた傷により死ぬのでした、、、。


おしまい。
今回もたくさんの仲間がいなくなりました。そしてシーザーも。

本当に終わりなんだなぁと思うと、感慨深いものですね。
絶大な評価を受けた初代から、尻すぼみ的にB級になっていた過去シリーズ。
その汚名を100倍返しでも足りないほど、見返してくれたこの新・猿の惑星シリーズ。
本当にいい映画でした。

お疲れ様でした!!

ダンケルク

クリストファー・ノーラン監督という事で、めっちゃ楽しみにしてたんですよ。

ところがいざ見てみれば、まぁまぁ普通。なんだったらつまらんレベル。
ノーランの作品といえば、最近は「ダークナイト」や「インターステラー」などのSFのイメージがありまして、今回は実話を基にしてるっていう。

ノーランの映画では、内容も伏線と驚きがあるいい作品ばかりなんですが、今回は特段なし。
今までの作品の通り、映像は凄い。でもそれだけな気もする。
より良い映像にこだわった結果、CGをあまり使わず実写に拘ったらしいですが、それが歴代より見劣りする形になってしまいました。

かるくネタバレしますと、陸海空それぞれの3人、それぞれのエピソードがダンケルクという戦場で交差していく話です。
ハッピーエンドだとかバッドエンドだとか、実話を基にしてるというのもあり、そこらへんはご愛嬌。
何が正解で何がダメだったのかなんてのは二の次です。
あえていうならハッピーエンド、斜に構えて見れば「戦争の時点でバッド」です。

実際に船を沈めたり、飛行機を落としたり爆発させたり、西部警察黒澤明に通ずる撮り方・魅せ方だったと思います。
でも僕はCGが好きなので今回は残念。
リアリティだとかそんなんはいらんです、必要なのは脚本のドラマ性とリアルを超えた映像。
そこんところでも、今回のダンケルクは残念です。

アメリカンスナイパーという映画がありまして、まぁこれも実話を基にしたリアリティのある作品なんですが…

僕はこれがとても嫌い。良さが全然分かりませんでした。
きっと、アメリカンスナイパーが好きな人はこのダンケルクはすごく合うと思います。

僕は「実際にあった話」みたいなのは普通に嫌いなので合いませんでしたが、ダンケルクはアメリカンスナイパーみたいな映画なので、合う人は合うかなと。

ただ、この作品はIMAXで見てほしい。
作品の質感を、大画面とリアルなサウンドで聞いてほしいです。
その部分だけはきっと「良いもの」だったと思います。

さよなら

打ち上げ花火 下から見るか?横から見るか?

久しぶりにここに文章を載せます。
あまりにもお粗末な内容だったので、レビューというより愚痴です。

既に過去映像化してるので、今回はわざわざネタバレしません


そもそも見たいと思った動機から僕が間違っていました。
「シャフトだから」「大根仁だから」そんな理由で見たのがそもそもの間違いである。

アニメーションを活かした演出も乏しい。シャフトである意味がこの作品にはない。
脚本もそうだ。大根仁に書かせる意味もない。

まず、タイトルが気にくわない。
正確にいうと、「このタイトルをつけたなら、その意味を考えて欲しい」である。

というのも、「下から見るか?横から見るか?」なんて問いかけをしてるのに、その答えがあまりにもチープ。
なおかつ、そこに本筋が繋がる要素もない。
タイトルの時点でこの作品は死んでいた。

シャフトである意味がない。
シャフトといえば「物語シリーズ」や「魔法少女まどか⭐️マギカ」で、他のアニメ制作とは違った演出で有名である。
しかし今作にそんな要素はない、あまりにも平凡で、退屈なアニメーションだ。

この作品で何を伝えたかったのかわからない。
これは僕の理解力が低いというのもあるが、これでもそれなりにテーマや意図を考えてきている。
が、今作には何も感じられなかった。
「少年少女の一夏の経験」なんてテーマなんだとしたら、目も当てられないし、そうであって欲しくないとすら思える。

流行りに乗ったなら、それを使いこなして欲しい。
今はタイムリープもんが流行っている、これは事実だ。
そしてクリエイターは、これを使いこなし、かつ自分の色を付け足さなければいけない。
昨年の「君の名は。」から「タイムリープ」「アニメ映画」が流行りだした。そのどれもが、要素を足してそれだけでは終わらないように工夫していた。
今作にはない。ただ時間改変、世界改変が怒るよくあるものだった。
そういう意味では、これはタイムリープものではなく、世界改変ものだったのだろう。
が、その世界改変の要素もふわふわしていて捉えきれていない。
世界改変のための道具の出所も不明で、結局なんなのかがわからないまま終わる。
1本の映画で完結できないなら、使いこなせないなら、やめてしまえ。

エンドも気にくわない。
あれは世界改変がなかったことになったのか?それとも改変後のままなのか?
もっと言うと、夏休み前なのか?夏休み終了後なのか?
二人は駆け落ちしたのか?していないのか?
投げっぱなしでは視聴者が満足しないぞ!

そして投げっぱなしで終わるなら、視聴者がその後を想像できるような演出をしてくれ。
制作側は全容を把握しているから納得できるかもしれない。
でも、初見の視聴者が置いてけぼりだぞ。

主人公の演技がひどい。
菅田将暉くんは確かにいい演技をする。
しかしそれは実演している時だけだ。声だけの演技には、声だけで演技するノウハウがあるものだ。
もちろん、下手だからってキャスティングを変更することなんてできない。
その点は承知している。

だが、人気の俳優だからってキャスティングして、彼の名を利用したように感じてしまいファンとしても彼がかわいそうである。

誰に向けてこの作品を作ったのかがわからない。
オタク向けに作るなら、そういう作りをしろ。
一般向けに作ったなら、そういう作りをしろ。

ターゲットは誰?作品の意図は?誰が得をして、何を想定してこれを制作したのか?
あまりにも見切り発車、あまりにも稚拙、そしてあまりにも駄作である。
企画した人間が、本当に何もわかっていないのがよ〜〜くわかった。
こんな駄作だったら、クライアントは普通「作り直せ」と言うだろう。(もちろん妥協はあるだろうが)
でもそれすらも感じられなかった。
見る目のない人間が、ネームバリューで制作陣かき集めて、「これでいいやろガッハッハ」と踏ん反り返ってるのが眼に浮かぶ


言いたいことはたくさんあるが、もういいや。
お金と貴重な時間を無駄にした、それだけの話です。




見なくていいです。以上