読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

溜息の沼

愚考

君の名は。にどこか納得できない方へ。

先日、「君の名は。」について記事を書かせていただきました。たくさんの方に見ていただきありがとうございます。

しかし、少し思い至ることがあり、また記事を書かせていただきます。

まず前提として、僕は新海誠が大好きです。なのでそんなフィルターがかかっている以上、良作に見えてしまうのは仕方がありません。
ですが、今作はあまり気に入らなかったというのが本音です。
いや、確かに面白い。とても好きです。だけど心の隅ではどこかモヤモヤとしたものが残っています。

というのも、「新海誠らしくない」という思いがあるからだと思います。
歴作を見ていて思うのは、主人公が褒美もなくカタルシスを超えているということです。
幼いながらも愛する人と別れ、その愛を乗り越え、一歩大人になっていく。それが新海誠作品でした。
悲恋というか、報われない恋というか、それが僕が好きになった理由なのかもしれません。
S・キングを好きになった理由も同じ感じです。誰も救われない、幸せになれない。僕はそんな退廃的な結末が好きです。
もちろん、作品内の世界でも、長い目で見ていけば主人公は幸せを見つけるかもしれません。
しかし、僕は描かれている結末こそがその作品であり、その先は妄想でしかないと考えています。

つまり、「君の名は。」はハッピーエンドであり、新海誠らしくないというのが、僕の中で手放しで絶賛できない理由なのです。

新海誠作品が全国の映画館で見れて、テレビで取り上げられて、多くの反響を呼ぶ。
それは新海さんにとっても、ファンにとっても喜ばしいことです。
しかし僕は、
カップルが「君の名は面白い!」なんて言っていることにすら、映画館に人が殺到することにすら、納得がいかないのです。

もちろんそんなのは自由です。言わずもがな。
誰が何を好きになろうと、そんなのは本来知ったことではないのです。
僕みたいなこじらせた野郎は、人の評価すらも気にくわない。そんなケツの穴の小さい人間ってだけす。

話を戻しますか。
じゃあ「ハッピーエンドの何が悪いの?」という話になってしまうんですが、ハッピーエンドが嫌いなわけではありません。
新海誠作品にハッピーエンドは似合わない、と言いたいのです。
本作が全然別の方の作品なら文句はありません。素晴らしいことだったでしょう。

ですが、僕の中の新海誠像とは噛み合わないのです。だからこそモヤモヤしているのです。
たとえ過去を変え、お互いに生きることができる世界になったとしても、あの二人は再会すべきではなかったような気がします。
秒速5センチメートル」や「言の葉の庭」がそうであったように、今作もそうであって欲しかったのです。

僕は庵野監督が好きです。作品に込められた謎や演出が好きです。
僕はフロム・ソフトウェアのゲームが好きです。断片的に語られるストーリーや世界観をつなぎ合わせ、その全貌を考えるのが好きです。

僕にとって今作は、そんな彼らが僕の嫌いな「不治の病に冒された彼女との最後の思い出」的な作品を作るようなものなのです。
いや、さすがにそこまでは言いませんが、そんな感じです。
全国的に売り出す「商業的」な面があったのはわかります。もしかしたら新海さんはいつも通りするつもりだったかもしれません。だが売るためにやむなくこうした。そんな背景があるかもわからない。

しかし僕はわがままで勝手な消費者です。自分にとっての理想を追求する消費者の鑑です。
だからこうしてmacをバンバン叩いてるわけです。



さて、話をぐるっと変えますか。これ以上は何も生まない。
みなさんの中や周囲にも僕みたいな方はいませんか?
君の名は。」は面白いはずなのに、新海誠が好きなはずなのに、どこか釈然としない気持ちをお持ちの方は。
きっと僕だけではないのです。
アニメ映画が大々的に放映される、そんないい時代になったなぁと嬉しく思う反面、どこかモヤモヤした感じ。

きっと僕らは寂しいのです。
自分だけが知っていた、推していた漫画がアニメ化で大売れした。
自分だけが好きだった歌手がタイアップで人気者になった。
嬉しいことじゃありませんか、ファンなら喜ぶべきなのです。
「応援し続けた甲斐があった」と手放しで喜ぶべきなのです。
しかし僕らはわがままな消費者です。独占欲が顔を覗かせて、その喜びを邪魔するのです。


本当に生きづらい性分ですね。